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2011年6月

●大株主として中電にもの申せ

 中国電力の株主総会が29日、開催されるのを前にした24日、日本共産党山口県議団は、同社の発行株式の13%を所有する山口県振興財団に対して、株主総会に責任ある理事が出席して、上関原発建設に対する県民の不安を代弁して、原発推進の経営方針をやめるよう求めるべきだと、要請しました。

 要請には、藤本一規、木佐木大助両県議と吉田達彦事務局長が参加。同財団の池田豊事務局長(県財政課長)が対応しました。藤本氏らは、福島原発の重大事故は放射性物質の流出が拡大する深刻な状態が続き、社会的、経済的に甚大な被害が広がっていると指摘し、事故は安全神話にとりつかれた人災であり、国と電力会社の責任は重大だと強調。

 NHKの世論調査でも上関原発の建設を「中止すべき」とする県民が57%と過半数を超えているにもかかわらず、中国電力は原発推進の方針を変えていないことをきびしく批判。県振興財団は中電株の13%を保有する筆頭株主であり、多大な株主責任を負っていることをあげて、29日の株主総会には、理事長である西村亘氏(前県副知事、県顧問)が出席して、①県民の不安を代弁して、原発推進の経営方針を転換する、②原発の安全を揺るがす島根原発での大量の点検漏れに厳しく抗議し、再発防止に万全を期す、ことを求めるよう要請しました。

 池田事務局長は、これまで株主総会には、事務局員が出席しているが、発言したことはないことを明らかにし、今年度総会の出席については、まだ検討中であり、申し入れの趣旨は理事長に伝えると答えました。

●日本共産党山口県議団の大震災ボランティア報告

 日本共産党山口県議団の藤本一規、木佐木大助両県議と吉田達彦事務局長は6月9~14日、岩手県宮古市を訪れ、救援ボランティア活動に取り組みました。活動の一端をリポートします。(吉田達彦)

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これから出発です

被災者の気持ちに寄り添う救援・復興が政治の責任

 「何もかもが足りない。早く自分の家に住みたい。なんとかお願いします」―避難所から仮設住宅に引っ越したばかりの被災者の一人は、力なく語りました。

 宮古市役所に近い愛宕小学校に建てられた仮設住宅45戸を全戸訪問して、行政への要望や困り事を聞いて回っていたときの一コマです。

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 同小学校には、大津波で壊滅的な被害を受けた鍬ケ崎地区の住民を中心に、最大で200人が体育館や教室に避難していました。運動場の一部に仮設住宅が完成し、翌日12日には閉鎖されるため、10日から引っ越しが始まったばかりでした。

喜び顔に疲れも一掃

 引っ越したばかりの方や、その最中の方がほとんどで、「まだ荷もほどいていないので、何が足りないのかもわからない」という方が多い中、食器やナベ、フライパン、米、味噌や醤油、酢などの調味料、スリッパ、電気カミソリ、シャンプーなどの要望が寄せられました。宮古地区に全国から寄せられている物資で調達し、届けると、大変、喜ばれ、長旅の疲れもふっとびます。

惨状に言葉なし

 仮設住宅で「御用聞き」をした住民の多くが被災した鍬ケ崎地区を訪ねました。一帯は、ガレキの片付けがすすみ、建物があったであろう土台が整然と並んでいました。丈夫そうな郵便局や銀行、店舗なども大きく破壊され、カーブミラーも飴のようにねじ曲がっています。大きな水産加工場や冷凍冷蔵施設も骨組みを残すのみです。

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 ため息をつきながら、田老地区に向かいました。「万里の長城」のような堤防で、守られていたはずの地域です。

 大津波は、易々と堤防を越え、何もかもを押し流していました。まさにあ然としました。堤防の一部は大きく損壊し、ガレキが沖に散乱していました。住宅があった地域のガレキ撤去はすすんでいますが、土曜日だったのに、人の姿はほとんどなく、閑散としています。

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 このあと田老地区の被災者の避難場所(グリーンピア)で健康相談業務を担っている下関市の職員さんを表敬訪問し、市内最大の避難所となっている同所の室内テニスコートも案内していただきました。

怖いけど住み続けたい

 広い室内には、段ボールで仕切られた「世帯」が整然と並んでいました。最初は、仕切りもなく、プライバシーはゼロだったので、少しは改善になっていますが、段ボールの高さは120㎝程度しかなく、歩いて回ると、「世帯」の中は、丸見えです。

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 避難所の仮設テントで営業していた女性に話を伺いました。「津波警報が出るたびに、高台に避難し、何事もなく家に帰っていたが、今回は本当にきてしまった。怖いけど、やっぱり、田老で住み続けたい」と。

「被爆直後」の光景

 2日間の活動を終え、帰途は海岸線の国道を走りました。道路沿いには、「津波想定区域」の掲示板が次々に現れ、その地域は、どこも壊滅的な状況が広がっていました。

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 とくに、町長が流されて亡くなった大槌町の惨状は、ひどいものでした。宮古と比べるとガレキの撤去も遅れており、3ヶ月たつというのに、被害直後の様相です。火災の痕も生々しく残っていて、言葉もありません。被爆直後の広島、長崎の写真がフラッシュバックしました。

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国難に党の出番

 まさに国難です。被災者の立場に立った救援と復興をすすめていくためには、息の長い支援が不可欠です。政治が果たすべき役割の大きさを実感すると同時に、被災者そっちのけで、政争に明け暮れる政治の有り様に怒りは増すばかりです。まさに日本共産党の出番です。

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